辛口レビュアーろじねこさん マジ「トイ・ストーリー4」斬り

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皆さん、トイ・ストーリー4はもう見たかな?

大丈夫かな?

ろじねこさんは、公開週に鑑賞していたのですが、辛口レビューは保留にしていました。

でも、そろそろ感想を書いてもいいかなぁ・・・と、思いましたので、辛口レビュー解禁です。

今回は映画「トイ・ストーリー4」のネタバレを含みます。

トイ・ストーリー4を語る上で、ラストシーンを避けては通れませんので、がっつりラストもバラします。

ネタバレが嫌な方は絶対見ないで下さい。

そしてトイ・ストーリー4に対する批判的な感想を聞きたくない方も、絶対に見ないで下さい。

ここまで来た方は、トイ・ストーリー4のネタバレOKで、酷評レビューも大丈夫な方だけで間違いないですね。

「違うよ」と言う方は、即刻帰ってください。

では辛口レビュアーろじねこさんによる、映画「トイ・ストーリー4」斬りです。

以降、本当にネタバレを含みますのでご注文ください。

汚された!!

ろじねこさんの大好きなトイ・ストーリーが汚された!!

ではトイ・ストーリー4のストーリーを紹介します。

アンディからボニーに継承されたおもちゃ達、

そんなある日、ボニーがゴミからフォーキーと言うおもちゃを作り出し、以降フォーキーが一番のお気に入りになる。

出典:トイ・ストーリー4公式サイト

が、当のフォーキーはゴミだった頃の記憶が抜けきらず、自分はゴミ(価値がない)と思い込み、自暴自棄の様な行動ばかりとってしまう。

その度にウッディが「お前はゴミじゃない。ボニーの一番のお気に入りだ」と説得を続ける。

しかしそのフォーキーが、今回の悪役であるギャビー・ギャビーに捕まってしまう。

出典:トイ・ストーリー4公式サイト

ギャビー・ギャビーは初期不良のため一度も子どもに愛されたこと無いおもちゃで、ウッディの部品を奪って、初期不良を修理すれば、自分も愛されると信じていた。

フォーキー奪還を狙うウッディは、かつては同じアンディの家にいたが、今は誰の持ち物でもなく自由に生きるボー・ピープ達と再会し、行動を共にする。

出典:トイ・ストーリー4公式サイト

しかしギャビー・ギャビーの護衛のベンソン達の妨害にも合い奪還は失敗。

ウッディは最後の手段として、自分のパーツを渡す代わりにフォーキーの解放させる。

そして、フォーキーを取り戻したウッディ達は、持ち主であるボニーの元に戻り、

ボー・ピープ達はこれまで通り自由な暮らしに戻っていくはずでしたが、

ウッディはボニーの元には戻らず、ボー・ピープと自由な世界を生きる決断をする。

トイ・ストーリーには一貫した宿命がありました。

「おもちゃはいつか捨てられる」

飽きたり、なくしたり、壊したりして、いつかおもちゃは捨てられるか、ずっと箱の中に入れられて遊んでもらえなくなります。

その宿命が常に彼らに影のように付きまとっていました。

そして「その時」はトイ・ストーリー3で訪れました。

しかしおもちゃ達は、アンディの手からボニーの手に「継承」されると言うウルトラCで、ファンに致命的なトラウマを植え付ける事無く、その時を越えて行きました。

トイ・ストーリーは一作目からの「その時」をちゃんと迎えた上で、ハッピーエンドで終わらせると言う、魔法の様な事をやってのけたのです。

しかし、継承と言う裏技を見せた以上、もう「おもちゃはいつか捨てられる」と言う、テーマは使えなくなってしまいました。

テーマを失ったトイ・ストーリーで、ピクサーは何をやるのか?と、期待半分、不安半分で鑑賞しましたが、

やはり期待は大きく裏切られる結果になりました。

今回のテーマは「役割と自由」なのかな?と思いました。

おもちゃとしての役割を果たそうとするウッディと、誰の物にもならずに自分の為に自由に生きるボー・ピープ達。

コレは確かに一本の作品になりうるテーマだと思います。

ウッディは終始「おもちゃは子どものため」と言い続けていました。

しかし、それは言い換えれば、自分の意志を持たず「社会から与えられたら役割」を盲目的に全うしているだけにも見えます。

それは「男らしくあれ」や「女らしくあれ」と言う社会からの無言の圧力に縛られている姿にも似ている気がします。

そんな他者から押し付けられた役割しか見ず、自分の人生を生きようとしないウッディに、ボー・ピープは「迷子なのは貴方よ。」と指摘します。

良いです。

とてもろじねこさん好みの良い物語です。

しかしトイ・ストーリー4を認める事は出来ませんでした。

なぜなら結論ありきの物語に思えたからです。

Aと言う考えがあり、Bと言う考えがある。

その二つを行き来しながら、最終的にAを選択するのならば文句は言いません。

しかしトイ・ストーリー4では、驚くほどウッディは迷いません。

ずっと「おもちゃは子どものため」と信じて行動しています。

それが、ラストで突然「自由に生きる道」を選ぶのです。

ウッディが何十年と信じてきた信念を捨てる決断をするのに、あまりにも軽すぎる。

これは作り手が「自由に生きる事が正しいに決まっている」と盲目的に信じているからでしょう。

「社会的役割なんか馬鹿げてる。みんな自分らしく自由に生きるべきだ。」と信じて疑っていないから、何十年も愚直に己の役割を全うして来たウッディの人生を、こうも軽く扱えるのでしょう。

トイ・ストーリー4は、ある特定の思想を持つ人達が作ったプロパガンダ映画様な作品でした。

大好きなトイ・ストーリーを、プロパガンダに利用された様に感じて、とてもとても嫌な気持ちになりました。

そして何より一番イヤなのが、作り手にその自覚が無いだろう事です。

作中ボー・ピープは、己の考えに固執して別の可能性を考えようともしないウッディに「迷子は貴方」と指摘しましたが、

本当の迷子は、この映画を作った人だったのかもしれません。

ただ別の視点から見ると、自分がいなくても他のおもちゃ達が何とかしてくれるだろうボニーと、

強く生きてはいるが、かつて一度裏切った負い目のあるボー・ピープとで、

最終的にボー・ピープを守っていく人生を選んだラブストーリーとも取れますが。

ろじねこさんはラブストーリーは専門外なので、そっち方面ではあんまり響きませんでした。

そしてろじねこさんがもう一つ気になったのは、男女のキャラの扱いの違いです。

明らかに男のキャラと女のキャラでは、扱いが違います。

主役側の女性キャラと言えば、ボー・ピープです。

出典:トイ・ストーリー4公式サイト

彼女は美しく聡明で、決断力もあり、みんなに愛され、かつ、与えられたスカートを自ら脱ぎ捨て、自分の人生歩むキラキラ輝く理想的な女性であり、

社会に翻弄された不幸な過去を乗り越えて来た強い女性でもある。

そして、かつて自分を捨てた男さえも許す包容力もあると言う「完璧な女神」として描かれています。

次に悪役の女性キャラと言えば、ギャビー・ギャビーです。

出典:トイ・ストーリー4公式サイト

彼女は悪役として登場しますが、彼女が暗黒面に落ちた原因は初期不良と言う、彼女自身が原因ではなく、

言うなれば彼女は被害者であり、本来は少し臆病などこにでもいる女の子なのです。

そしてその初期不良から解放された彼女は「自分で」愛してくれる子どもを選び、念願の幸せを手に入れました。

では主役側の男と言えば、ウッディです。

彼は「おもちゃたるものかくあるべき」と言う古い考えに固執し、自分の頭では考えようともせず、

短絡的な行動を繰り返して周りに迷惑をかけ続けていく。

それどころか、それを指摘した女神ボー・ピープ様に対して「野良のお前には、持ち主のために頑張る俺の気持ちは分からない」と逆ギレまでする始末。

しかし最後は突然悔い改めて、女神の前に跪く。

一方、悪役の男と言えばベンソンです。


デイズニー ピクサー トイストーリー4 ベンソン & ウッディ 2パック フィギュア セット

彼らは、意志どころか感情が有るのかさえ不明なほどギャビー・ギャビーの意のままに動く文字通りの人形。

ギャビー・ギャビーが暗黒面に墜ちたのは「初期不良」という言い訳が用意されていたが、

彼らに関しては、一切の言い訳が存在せず、ただただ暴力の象徴として描かれている。

そしてギャビー・ギャビーが暗黒面から解放され、正しい心を取り戻し出すと、ベンソン達はストーリーからフェードアウトし、

ギャビー・ギャビーが救われた後でも、彼らへの救いは一切無かった。

女性キャラは、慎重に丁寧に描かれているが、

男性キャラは、あまりにも雑だし一面的過ぎやしないだろうか?

トイ・ストーリー4は、社会から押し付けられた役割やイメージに捕らわれることなく、

いろんな人がいて、いろんな考えがあって、いろんな人生がある。

そんな、人生の「多様性」を認めて行くべきだ、と言う主張を感じました。

しかし「多様的でなければならない」まで行ってしまうと、

それは「多様性」を認めないのと変わらないのではないかと思います。

そして、トイ・ストーリー4は、「多様的でなければならない」と言う先入観で作られてしまった作品のように感じました。

それなのに、作中で先入観に固執するウッディを批判しているから、ろじねこさんはとても滑稽に感じました。

そして、トイ・ストーリー4を見て再確認出来たのは、「アナと雪の女王」の素晴らしさです。

ろじねこさん的には、「アナと雪の女王」も「多様性」に関わる話だったと思っています。

しかし、「アナと雪の女王」から数年経ち、もはやありのままで何かを作れる時代は終わってしまったのでしょうか。

世の中が「多様性」と言う最強の矛を手にしてしまった昨今、

あらゆる作品は、作り手の主義主張に関わらず、「多様的」ではない物は、それだけで悪なのかもしれません。

ディズニー程の影響力のある会社は特に。

後に、人々が真の多様性を手に入れた時、今のこの時代の作品や風潮をどう感じるのでしょうか?

今と言う時代が過渡期特有の歪な時代の様な気がしてなりません。

あぁ~ぁ・・・

こんな事ならマジLOVEキングダム見に行けば良かった。

コメント

  1. はるち より:

    やはり色々な考え方がありますね!
    どの意見も間違いじゃないと思います!
    例え自分が思ってることと違っても!
    ディズニーはむずかしいです泣
    でもそんなディズニーがすきです!
    私の考えも間違ってると思うかもしれませんが
    見てくれると嬉しいです!
    日本語すごく下手ですけど泣

    ウッディは自由にいきる道を選んだ。
    でもそれはボニーにはもう自分は必要ない
    フォーキーやバズやジェシーがいる
    バズも彼女は大丈夫だって言ってました
    それにウッディは自由に生きる道を選んだんじゃなくて
    ギャビーギャビーのような元々不良品で主人がいない
    おもちゃや迷子になっているおもちゃに
    幸せになってもらえるように、
    ウッディとアンディのように思い出に残る
    最後は捨てられるかもしれないけどたくさん遊んで
    もらえるように、ウッディが幸せだったように
    他のおもちゃを助けるために
    ボーピープと一緒に歩む道を選んだんじゃないかなって
    思いました!

    • ろじねこさん より:

      はるち さん

      コメントありがとうございます。

      感想拝見いたしました。

      なるほど、確かに仰る通りかもしれませんね。
      ウッディはこれまでいろんなおもちゃを助けてきましたけど、基本的にはそれは「自分」の周りのおもちゃ達でした。
      でも今回、自分の周り以外にも多くの困っているおもちゃがいる事を目の当たりにして、そのおもちゃ達も助けてあげたいけど、ボニーの側にもいなくちゃいけないし・・・どうしたらいいんだろう・・・って時にバズから「ボニーは大丈夫だ。」と言われて、ボニーの事はみんなに任せて、自分はボー・ピープと共に一人でも多くのおもちゃを助ける道を選んだ。

      確かにそうかもしれませんね。
      そしてそれは「アメリカ・ファースト」といった「自分や自分の周りだけ良ければよい」という自国第一主義に傾く世界への批判もこもっているのかもしれません。

      仰る通りかもしれません。

      でも・・・
      自分の意見が間違っていたかもしれないと分かっても、おいそれと取り下げられないのが大人というものです。
      と言うことで、生き恥を晒す事になっても、記事はそのまま残しておきましょう。

      実は、この記事を公開するのは結構憂鬱でした。
      きっと多くの人に不愉快な思いをさせてしまうだろうし、きっと多くのお叱りを受けるだろうと思っていたからです。
      でも、はるちさんの様な意見を聞けただけでも公開した甲斐がありました。
      ありがとうございました。

      こんな振り上げたこぶしの降ろし方も知らない様なブログですが、お暇な時にでも遊びに来てください。