人はその人生において、くぐらねばならない幾つかの扉に遭遇する。
しかしそれは往々にして多大なストレスを伴う。
苦痛や恐怖、あるいは耐え難い嫌悪感。
その通過儀礼と言う扉を経て、人は新たな世界の一員となる。
キャスト交代と言う門である。
去年猛威を振るった手下。
その我々の愛した手下と呼ばれるものたちは、幾つかの重要な要素によって構成されていた。
一つはビジュアル
一つはキャラクター
一つはパーソナリティー
一つは関係性
人によっては もっと沢山の要素を手下に求めていただろう。
そして今回 手下2年目
登場も危ぶまれたが、無事手下は今年も登場した。
しかし 演者が別人に代わっていた。
これは何を意味するのか?
演者がかわれば ビジュアルも変わる。
キャラクターは引き続き同じではあるが
そのキャラクターと切っても切れない演者のパーソナリティーが変われば、キャラクターにも大きな影響が出る。
そして関係性もしかり。
演者のパーソナリティーが、手下同士の関係性に影響してくるだろう。
つまり、演者交代は去年の手下の根本からの破壊に他ならない。
振り返って考えれば、去年の手下熱はファンと悪ノリした手下達によって盛り上がったコンテンツだった。
それはディズニーの想定も、管理下からも大きく逸脱した盛り上りだったのかもしれない。
そしてディズニーはそれをギリギリまで静観していた。
しかし今回、ディズニーはキャスト交代と言う劇薬を用いる事によって
手下というコンテンツをあるべき持ち主である自分達の元へと強引に取り戻した。(奪い取られた感じる人もいるだろう)
ディズニーは手下を葬り去ることもできた。
しかしそれはせず、手下を取り戻したのだ。
我々の愛した手下を徹底的に破壊した後で、本来自分達が提供したかった本当の手下を再度作り直すのか?
それとも、去年の熱を自分達の管理下のもとで再現しようとするのか?
それはまだ分かりません。
しかし沼民の前に門が立ちはだかっている事は事実。
その門をくぐり、ディズニーの手に戻った本来の手下を見届けるか。
門にツバ吐き、去っていくのか。
それは沼民の自由です。
ろじねこさんは、くぐります。
ディズニーが提供したかった本当の手下を見届けてやろうと思います。
書きたいことは山ほど有りますが、今日はここまで
また近いうちに続きを書きます。