辛口レビュアーろじねこさん 「トイ・ストーリー5」斬り

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トイ・ストーリー5見てきました。

公開から10日ほど経ったので、もう感想書いてもいいよね。

では早速、辛口レビューに入りたいと思います。

4でこれまでのトイ・ストーリーを全て破壊したピクサーが送るトイ・ストーリー5

トイストーリー4の壊れ具合は、4の辛口レビューでご確認ください。

果たしてトイ・ストーリーは復活出来るの?

それとも思想にまみれた金のなる木になるのか?

これ以降は、トイ・ストーリー5のネタバレと酷評を含む可能性があります。

酷評やネタバレが嫌な方はお引き取りください。

ここまで来た方は、ネタバレ酷評OKな方で間違いないですね?

では行きましょう。

辛口レビュアーろじねこさんによる「トイ・ストーリー5」斬りです。

こういうのでいいんだよ。

こういうのでいいんだよ。

物語は、アンディからおもちゃを継承されたボニーの部屋から始まる。

出典:ディズニー公式サイト

フォーキーとそのガールフレンドであるカレン・ビバリーの結婚式ごっこで遊ぶボニーは、成長と共におもちゃの友達ではなく人間の友達が欲しくなります。

しかし内向的で夢見がちなボニーは上手く友達を作ることが出来ません。

そんな中、本人の希望もあってボニーの両親は友達づくりのきっかけになればと、流行りのタブレット端末リリーパッドを買い与える。

出典:ディズニー公式サイト

タブレット内のゲームで知り合った友達とのお泊り会に誘われ喜ぶボニーだが、上手く友達を作れるか心配なジェシーはブルズアイと共に、お泊り会に忍び込む計画を立てる・・・

トイ・ストーリー5は、子どもたちがおもちゃよりも、スマホやタブレットの中のゲームやコミュニティに夢中になってる昨今において、おもちゃはもういらなくなったのか?との問いに向き合った作品です。

映画を観た方は気づいているのかも知れませんが、トイ・ストーリー5は驚くほどトイ・ストーリー1と似ている。

楽しくおもちゃで遊ぶ子どもに、緑色の新しいおもちゃが与えられる。

おもちゃのリーダー格であるカウボーイ(ガール)人形は、新しい”いけ好かない”緑色のおもちゃを温かく迎えようとするが、決裂。

いろいろなトラブルを経て、カウボーイ(ガール)人形の「持ち主を思う気持ち」に心打たれて、協力して問題を解決する。

そして最後はウッディとバズが空を飛ぶ。

もはや意図的としか思えないほど1を思い出すシーンの目白押しである。

これは何を意味するのか?

ろじねこさんは「新たなトイ・ストーリーの始まり」だと思っている。

もう一度、1からトイ・ストーリーを作り直す。

なぜならトイ・ストーリーは壊れてしまったから。

壊してしまったから・・・

壊れたトイ・ストーリーをもう一度作り直すにあたり、再度1の物語からスタートする事で「1からやり直すから、もう一度トイ・ストーリーにチャンスをくれ」というメッセージを伝えたかったのだろう。

つまり何が言いたいかというと、トイ・ストーリー5は「ポリコレとの決別」に他ならないのだ。

ポリコレに躓いて、大事な大事なトイ・ストーリーを壊してしまった。

それを悔い、恥じるからこそ「もう一度トイ・ストーリー」なのだ。

義務だの役割だの自分らしくだのスカートだの、もうそんな事どうでもいい。

おもちゃは子どもの幸せを願うのだ。

子どもの幸せのために命を張るのだ。

そして子どもの成長を見届けて役目を終える。

それがおもちゃだ。

それで何が悪い。

これがトイ・ストーリーだ。

ウッディもバズもジェシーもリリーパッドも間違えた。

でもそれを認め、受け入れ、自分のなすべきことを信じまた歩き始めた。

トイ・ストーリーも間違えた。

でもトイ・ストーリー自身も自分のなすべきことを思い出し、また歩き始めたのだ。

私達のトイ・ストーリーが帰ってきた。

ただ一人、彼らのなかには戻れない女神ボー・ピープ様だけを残して。

ポリコレ関連で言えばもう一つ。

今作では二組のカップルが結婚する。

4で初登場したフォーキーとカレン・ビバリー、

そしてジェシーとバズだ。

二組ともおそらく男女のカップルだ。

昨今の作品における「結婚」はポリコレが入り込みやすいところだと思うが、きっちり設定通り男女の結婚を描いたのは良かった。

念のために書いておくが、男女以外の結婚がいけないというのではない。

ポリコレ様に尻尾を振るためだけに、設定を壊して同性婚にしなかった事を評価しているのだ。

ポリコレの為に別人の様に改造された女神ボー・ピープ様の悲劇を繰り返してはいけない。

設定を壊される前に、バズとジェシーを結婚させることで、ポリコレに対して楔を打ち込んだのだと思っている。

さて、ここで目線を変えて、あえて女神ボー・ピープ様について考えてみよう。

彼女は驚くほど今回の物語には関わらない。

彼女の役目は、ウッディをみんなの所に送り届ける事と、

全てが終わった後にウッディを迎えに行くことだ。

彼女はもう2度とみんなのもとには戻れないのだ。

なぜなら、彼女は一つの記念碑的存在になってしまったからだ。

2010年代半ばからポリコレを目指したディズニーがたどり着いた到達点の記念碑なのだ。

みんなが狂乱の時代を無かったことにして、元いた場所で昔みたいに楽しくはしゃいでいても、

彼女だけは、もう誰も来なくなったポリコレの極北で一人立ち続けるしかないのだ。

「こういう時代があった」事の証しとして。

彼女が弱い女だったら泣く事も誰かに助けを求める事も出来ただろう。

だが、残念ながら彼女は強い女だ。

自分と一緒にいながらも、昔の事が忘れられない男に「行かないで」とも言えないほど強い女なのだ。

4の時はあれほど神々しく輝いてたボー・ピープが、今作ではとても辛そうに見える。

時代とはとても残酷です。

お金になるうちは蝶よ花よ持て囃すが、流れが変わると一気に掌を返す。

ディズニーがポリコレを目指した時代の記念碑の一つとして、ボー・ピープはこれからも一人でその先を見つめながら、凛々しく微笑んでいる事でしょう。

我々にできることは、ボー・ピープを忘れない事。

さて、ここまでは反ポリコレ映画としての側面を主に話してきたが、映画としての評価も最後に書いておきましょう。

映画としてのろじねこさんの感想は「至って無難」と言った感じです。

これはよい意味での感想です。

約10年前、ろじねこさんは「ディズニーに通うならディズニー映画くらいは見とかなきゃマズイかなぁ」と思ってディズニー映画を見始めました。

その時にディズニー作品を幾つか見た時の感想が「映画史に残る名作ではないかもしれないが、きっちり払ったお金以上の満足感を与えてくれる作品たち」でした。

それからディズニーはポリコレに転んでしまい、その後の映画は「見るに堪えない」ものになってしまいました。

それが今回のトイ・ストーリー5は、ちゃんと楽しく、ちゃんとドキドキして、ちゃんと笑えて、ちゃんと感動できて、ちゃんと満足して劇場を後にできました。

あの頃のディズニー映画に感じていた、憎いほどの安定感を久しぶりに感じる事が出来ました。

ろじねこさんくらいひねくれてない限り、誰でも楽しめる作品だ。

トイ・ストーリー5は原点回帰した映画である。

4で絶望した皆さん、もう一度トイ・ストーリーを見てみませんか?

あの頃のワクワクしたディズニー映画と、その世界の端っこで記念碑のごとく一人佇む女神ボー・ピープ様の悲哀を感じてほしい。